キセキノグラス

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☆ 「スパイをお願いしたいのですが」 私が思い切ってそう頼み込んだのはウツボ公園の整然と並んだつつじの花壇を眺めながらだった。 「スパイ?」 タケオさんはオウム返しに訊き返した。当たり前の反応だ。 「はい、スパイです。その、ヤマノさんにお付き合いしている人はいるのか、もしいないにしても気に留めてらっしゃる方はいるのか、それを聞いて来ていただきたいのです」 「そんなの、ご自分でお聞きになったらいいじゃないですか」 一瞬にして興味が醒めた、という顔を取り繕おうともせずにタケオさんは言う。 「無理です。恥ずかしいじゃないですか。だからお聞きになる時も私の名前は出さないでほしいんです」 「まだ、聞きに行く――スパイをやるとは言ってませんよ」 興味がない以上に、どことなく不機嫌そうだ。 彼は商売人だ。 他人の色恋沙汰などにかかずらわっている時間も手間も惜しいのだろう。 「それでは、あのグラスと交換での依頼、というのはどうでしょうか」 私は常から彼が欲しがっていたワイングラスを引き合いにだした。 『奇跡の杯』と銘打たれたそれは、緑掛かった鈍い乳色の美しい品で、その素材であるウランガラスの性質から、日の光を当てれば妖しくも美しい蛍光の輝きを放つ逸品だ。 「え、それは」 彼はグラスを目当てに足繁く我が家に通い詰めていたのだ。 異論などあろうはずもない。 だが何故か、やや困惑した様子で次の句を続けない。 「不服、でしょうか」 重ねて問う。 「いや、まさか不服などと……。ですが本当によろしいのでしょうか」 「もちろんです」 本当のところ、グラスはそろそろ譲ってもよいかと考えていたところだった。 あの小さな品を愛でるためだけに、貴重な商いの時間を割いて日参する彼の熱意にほだされていたのだ。 「分りました。それほどのお気持ちでしたら、この僕が責任を持って、お二人の仲を取り持ちましょう」 タケオさんは胸をたたいて見せた。 そこまでを期待しての依頼ではなかったのだが、縁を結んでくれるというのなら、それに越したことなどない。 私は期待しすぎないようにと自分を戒めながらも、彼の成功を心より願った。
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