「――理由も知らない。」

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「………………。」 ………今、俺は何を考えた? 兄の事を、考えていた筈だ。 兄の姿を、思い浮かべた筈だったのに…………… 「…………。」 ……やはり、気になっているのか? ――あの人が。 「………、先輩……。」 言葉にするのに、何故だか唇が震えた。 ……恐れるような、…何かに、怯えるような。 柔らかな花弁に、思わず泥に塗れた指で触れてしまった時と、似ている気がする。 「………っ…。」 目を閉じて、呼吸を落ち着かせる。 ……何時からだ? 何時の間にか、こんなにも息苦しい。 あの人の、何処か寂しげな瞳が脳裏に過ぎって…………急に、胸が痛くなった。 (………どう して……。) ……どうしてなんだろう。 この胸の痛みは……何処から来るんだろう。 ……俺にちゃんと感情があったら。 俺がもっと“人間らしかった”ら、この痛みの在りかが解るのか………? (………?) 不意に、誰かに呼ばれたような感覚を覚えて振り向く。 道場傍にある水呑場の横には、街路樹に挟まれた寮への道。 ……まだ登校時間には早い、当然、無人だ。 (………解らない。) 自分が、解らない。 誰もいない路地の敷石を見詰め、街路樹の翠(みどり)を目でなぞる。 視界にはそれ以外のものなど映らないのに、なのにその時。 ………俺はそこに、視(み)た気がした。 ----------- 見たことの無い筈の、あの人の笑顔を。
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