序章 とある先公との堕落論

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 ペットと言えば話は変わるが、僕は生まれてから十六年間、動物が三回、傍にいた事がある。  一回目は蟾蜍(ひきがえる)。確かきっかけは、幼いながらに読んだ太宰治著(人間失格)で出てくる一節――『それが、自分だ。世間がゆるすも、ゆるさぬもない。葬むるも、葬むらぬもない。自分は、犬よりも猫よりも劣等な動物なのだ。蟾蜍。のそのそ動いているだけだ』と言うこれ。目的は確か、夏休みの自由研究だった。解剖をする為に十匹位捕まえたっけな。それだけいても、解剖用だったからすぐに皆死んでしまった。  二回目は金魚。赤と黒を二匹ずつ。こいつらもきっかけがある。岡本かの子著(金魚繚乱)。そこに書かれている美しい金魚の描写に憧れて、金魚開発に全力を注ぐ主人公の姿に感動して、飼う事を決意した。まあ決意したと言っても、飼ったのはやはり母さんだったが。手に入れた方法は金魚掬い。住んでいた町の小さな祭り、母さんにねだりねだって手に入れた。飼った期間は僅か二時間――これは今となっては笑い話。あまりにも金魚を上手く掬えた母さんがはしゃいで、それが入った袋を振り回したのだ。気が付けば、袋の中で金魚は死んでいた。もうそれからは涙の出血大サービス。涙なのに。  三回目、ミドリガメ。すまないが、これに関しては全く理由らしい理由はない。それでも、何故――と問われれば、あれだ、所謂(いわゆる)衝動買いと言うやつ。ペットショップに行くと、無性に動物が買いたくなるあの感じ。誰しも子供の時に体験しただろう。当時七歳だった僕は少ない小遣いをはたいて買った。金魚の時みたいな事故があったら大変だからだ。なので、自分の手で連れ帰った。こいつは未だ健在。僕の唯一の家族であり、友達だ。 「……友達、ねえ」  もう一回、僕は言う。  何度聞いても、何度見ても、何度言っても、僕には無縁の単語だ。  母さんが死んで九年。九年前のそこからは友達は出来ず、そこまでの友達も消えていった。  友達紛い(まがい)なら、一人だけ。
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