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実は、前に一度、旅行で東京に来た時、杏樹はスカウトと言うものに遭遇している。
当時で既に身長が170㎝以上あり、スカウトマンだと言う男に
「モデルに興味ないかな?」
と名刺のようなものを貰ったのだ。
背が高いことがコンプレックスだった杏樹にとって、それは一種のカルチャーショックだった。
(東京に来たら、私でもモデルになれるんだ!)
素直に感動すら覚えたものだ。
「手足が長くてスラッとしてるし、身長170cmくらいあるよね?君ならすぐにモデルとしてデビュー出来るよ」
甘い言葉に釣られて、すぐそばにあると言う事務所まで付いて行ったのが、間違いだった。
その時は携帯電話を握り締め
「警察に連絡する。すぐに帰りたい」
と騒いで、事務所の外に出、事なきを得たが
「水着に着替えてもらえるかな?下着姿で写真とか撮ってもいい?」
見知らぬ男に囲まれ、じろじろと体を見られた時の恐怖を、杏樹は忘れていない。
背の高さもあって、外見的には
「大人っぽい、格好いい」
と言われることが多いが、実際は
「人に騙されやすそう」
と言われる性格であることを、杏樹自身も自覚している。
だからなおさら
「東京で声を掛けられても、信じちゃいけない」
と田舎の友達に言われたことを、杏樹は心の中で繰り返しながら、広い構内を歩いていた。
駅をどうにか抜けると、外は土砂降りの大雨である。
秋も半ば、かなり気温が低い。寒さに肩を震わせながら
「う、わぁ…」
灰色の雨が降る空を見上げ、杏樹は感嘆とも溜息とも付かない吐息を零した。
そびえたつビルの天辺は、白い霧に隠れて見ることが出来ない。
しばらくの間、ぽかんと開けた口が塞がらぬままに立ち尽くしていたが、いつまでもここに立っていても仕方ない。
杏樹はバッグから手帳を取り出し、まずやるべきことを確認した。
「えぇと…」
地図の購入、家探し、仕事探し、家具を買う…etc。
やるべきことは沢山あるが、時刻は昼過ぎ、空腹を覚える時間帯である。
(とりあえず、どこかご飯を食べる場所…)
そう思いながらふと視線を投げた先に、小さな喫茶店がある。
道路を挟んで向こう側だ。
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