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正午過ぎ、恋夜はようやくベッドから抜け出した。
高見沢の姿は、既になかった。
恋夜に任せっきりになっているバーだけじゃなく、高見沢は複数の店を経営していた。
業種もエステサロンからスポーツカフェまでと、かなり幅が広い。
30そこそこで社会的地位と富を手に入れた代わりに、その生活は多忙を極め、ほとんど家にいなかった。
恋夜と過ごす深夜のひとときだけが、高見沢のプライベートな時間だった。
痛む体を引き摺ってサイドボードからクリスタルの小瓶を取り、恋夜は蓋を開けて、中に詰められた黒い花びらを一枚、慎重な手つきで取り出した。
蓋を開けただけで、芳醇な薔薇の香りが恋夜を包む。
甘美な記憶が波のように胸に押し寄せ、恋夜はうっとりと目を閉じた。
薔薇の香りは、妖樹を思い出させる。
(……妖樹……僕のたったひとりの……)
黒々とした妖樹の怜悧な瞳を思い出しながら、恋夜はそっと花びらを口に含んだ。
妖樹の黒聖香を染み込ませた薔薇の花びらは、一枚で夜中まで……ちょうど残酷な遊びの始まる時間まで、傷の痛みを抑えてくれる。
本当は、高見沢に鞭打たれる前にも飲用したいけど、目的を達成するのにあとどれぐらいかかるのかわからない。
花びらの残りがそんなに多くはないことを考えると、一日一枚が限界だった。
目的を達成するまでは、妖樹の元へ還りたくなかった。
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