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「うん」
彼は短く言うとディスプレイに顔を戻した。翌日の業務の準備をしているのだろうか、その手は止まる事が無い。が、口数の少ない彼が課を支えている事も事実なのだ。お陰でひかりはいつも定時に帰る事ができるのだ。彼が課のメンバーに仕事を手伝ってくれと言えば負担は確実に減るのだろうが、そういう芸当ができないのも彼の特徴だった。
ひかりは四郎に背を向け、オフィスを出て行こうとした。
「柏木さん」
四郎から突然声をかけられたひかりは驚いて振り返った。業務時間外で彼から声をかけられる事など皆無と言っていい。
「は、はい。何でしょうか?」
「緑林公園で女子高生が殺されてから二週間になる」
唐突な話題に困惑しつつ、ひかりは四郎に向き直った。
小さな瞳が彼女の顔を真っ直ぐに見ている。
「犯人はまだ捕まっていない。帰り道は気をつけるように」
そんな話か、と、ひかりは内心でため息をついた。二週間前、崎島の広域避難地域にもなっている緑林公園で女子高生の死体が発見された。警察の発表では刃物で刺されて死んだという事だった。
「え? 何ですか。急に改まって」
事件の当日に注意喚起をするなら分かるが、無口な人間が二週間も過ぎてから注意するとは奇異な事だ。
「今日の柏木さんはちょっと浮ついているようだからな。遊んで帰るなら気をつけた方がいい」
四郎の言葉にひかりは驚きを隠せなかった。言われてみれば、仕事帰りに聖児に合うという事を少し楽しみにしていた部分があった。が、作業機械のような彼がひかり自身でも気付いていない小さな変化を捉えていた事が何より意外だった。
「大丈夫ですよ。私は二十六のオバサンですよ。高校生が好きな犯人だったら見向きもしませんよ」
ひかりは笑顔で言った。化粧も最低限必要と思われる程度しかしていないし、服装も凝ったものではない。女性としての魅力など自分には無いのだと自覚している。また、それを獲得する事を放棄しているのだ。
「柏木さんは童顔だからな。幼く見える事もある」
もう少し言い方を工夫すれば褒め言葉に使えない事も無いだろうが、その辺の機微は彼には無いらしい。
「課長、それってセクハラですよ」
ひかりが冗談めかして言うと四郎は顔を顰めて、
「業務時間外だ」
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