3人が本棚に入れています
本棚に追加
「でもまだ仕事してるじゃないですか」
ひかりが言うと彼はむっつりと口を閉ざした後、逡巡しているのだろう、しばらくの溜めを作ってから口を開いた。
「給料が出ている訳じゃない。これは私的な……居残りだ」
「そうやってみんな仕事を引き受けるから、東くんとかがいつまでたってもひとり立ちできないんですよ」
東とは今朝方聖児の電話を受けた一年目の新人だ。朝礼中の電話を取ったはいいが、敬語というものが全くなっていない。そうした応対態度で発生したクレームはいつも四郎が処理をしている。
ひかり自身、どれだけの負担を彼にかけているか知れたものではない。
「……男は背中で教えるものなんだ」
「思い切り昭和の発想じゃないですか。平成だってあと何年続くか分からないのに、少しは時代に合わせた方がいいですよ」
軍曹、と、ひかりは内心で付け加えた。
「言いたい事は終わりか? だったらとっとと帰れ」
「呼び止めたのは課長でしょう?」
ひかりが言うと四郎が恨みがましい目で彼女を見つめた。
「俺が呼び止めて悪かったと謝ればいいのか?」
「そういう訳じゃないですけど……私もちょっと課長とコミュニケーションをとってみただけで悪意は無いです」
ひかりは決まりが悪くなって言った。どうも調子に乗って喋りすぎたらしい。
「ならいい。気をつけて帰れ」
「はい」
ひかりが応えて背を向けると、背後から課長の声が追ってきた。
「小銭袋は持っているか? なるべくやわらかいものをポケットに入れておく事だ。それを握って殴れば女の細腕でも男を殴り倒す事ができる」
返答を期待している様子でもなかったので、ひかりはそのままオフィスを後にした。
最初のコメントを投稿しよう!