冒頭

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カーテン越しの穏やかな日差しが、瞼を刺激する。窓の外では雀がかしましく囀っている。 目覚まし時計より一歩早くなったそれが、季節はもう春ではないのだと教えていた。 腕でかすれた陽光を遮り、続いて毎朝の習慣で大きく伸びをする。関節が機械の駆動音のように鳴る。 朝。緋瑠瑚聖児の手足はこわばり、抜けぬ疲労を訴えていた。 目を開けた先にはワンルームマンションの天井がある。築三十年の天井はリフォーム後に越して来た事もあり、病院の天井のように白い。 白い天井を病院の天井と考えてしまうのは幼児体験が影響しているのかもしれない。聖児はぼんやりとそんな事を考えた。 六歳の頃に子宮ガンで死亡した母。入院中添い寝して見上げた天井はいつも白く、そこで時の止まった世界のような光を放つ蛍光灯はいつも寒々としていた。 それが死を連想させてしまうのだろう。聖児は半ば本能的に天井から目を背けた。 起き上がり、周囲を見回す。 正面から右回りにPCデスク、書棚、TV、ワードローブ。その先、背後には玄関に続く短い廊下と、それに面したユニットバスと簡易キッチンがある。 起き上がり、長い体躯を伸ばすようにしてユニットバスに向かう。 やや曇った鏡には好青年と称されるであろう男性の姿がある。 整った顔立ちだが目尻がやや下がっており、鼻梁が高いのが愛嬌になっている。 手早く歯磨きと洗顔を済ませ、備え付けの冷蔵庫からハムとチーズを取り出すと、食パンに挟んで野菜ジュースで飲み下した。 初夏の陽気に合わせて、カーゴパンツを履き、Tシャツに袖を通し、ベストとハットを見に着ける。 昨日教科書類は几帳面に鞄に入れておいたので、鞄と猫缶だけを持って部屋を後にする。 前日に翌日の支度をしておくのは、誰も注意する者が居なくなった母の死後からの習い性だ。 聖児の部屋はワンルームではあるが正確にはマンションではなく、二階建てのアパートの二階である。 鉄の廊下をローファーの底で音高く歩き、階段を小走りに駆け下りる。 すると、彼を待ってでも居るのか、一匹の黒猫が階段を下りた先に喉を鳴らして歩み寄ってくる。 筈であった。 が、そこにあったのは首から血を撒き散らした黒猫の胴体と、それを青ざめた顔で眺めている同じアパートの住人であろう中年の女性であった。 聖児の胸中で心臓が大きく脈打ち、その血流が音を立てて耳の奥へと流れ込んでいった。 何が起きたのか。
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