冒頭

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『またですかぁ~。ここの所多いんですよね』  警察ではなく、保健所で正解であったらしい。声が焼けている為、勝手に中年だろうと決め付けていたが、口調からすると自分より少し年上といった評価が正しいだろうと聖児は推察した。 「遺灰のようなものはもらえるのですか?」  クロの亡骸を見て聖児は言った。亡骸は保存できないが、遺灰であればいつまでも手元に置いておける。それがクロと自分との間のささやかな友情だと思えた。 『何? 飼い猫なの?』  いかにも厄介ごとに巻き込まれたという、まるで役者のような口ぶりで男が言う。 「いえ、単に顔見知りであったというだけで」  男から悼む言葉が出てこなかった事を意外に思いつつ聖児は口にした。 『餌とかやってたんじゃないだろうね? そういうの迷惑行為防止条例に触れるからね』  今度は強い口調で男は言った。 「あ、それはしてません。毎日見かけると心が和むと言うか……」  慌てて聖児は言った。迷惑行為禁止条例とは考えてもみなかった。だが、確かに猫を嫌う人間が居る事も確かである。 『本当? 猫ってのは警戒心の強い動物だからね。餌でもやらない限りそうそう人に懐いたりしないもんなんだよ』 「懐かれてはいなかったです。ただうちのアパートの前がお気に入りだったみたいで。僕が勝手にクロって呼んでいただけで」  虚実がすらすらと口をついて出た。完全な嘘ではないが事実でもない。出会いは確かにそんな所だった。  『まぁいいや。死骸は処理しておくから住所言って』  男は投げやりに言った。 「崎島区大湊6丁目3の29、大日方ハイツです」  幾度となく口にした住所を聖児はそらんじた。 『はいはい、6丁目の大日方ハイツですね。じゃあ係の者を行かせますんで』  一方的に言って通話は切られた。  聖児はスマートフォンを耳から離すと、階段に腰掛けてクロの死体を眺めた。  夥しい血液、まるではじめから死んででもいたかのような無機的なクロの身体。 -生きるってなんだろう?  ふと、そんな疑問が聖児の胸を過ぎった。  昨日までクロは喉を鳴らして喜びながら猫缶を食べていた。 -あの時クロは生きていたのだろうか?  当然物理的には生きていた。それは自分に対しても言える事だ。
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