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だが猫が生きているという事は実際には自ら捕食して、野生の中にその存在を確立してこそ生きていると言えるのではないだろうか。
ではクロは生きていたのか? 確かに縄張りは持っていたのであろうし、餌を与える聖児という人間を発見したのはクロの功績だ。しかし、クロは人間に寄生したのであって、その命を生きたのではない。
そう考えて聖児は自嘲した。
生死にまつわる禅問答めいた思考は母が死んでから自らの内に、水泡のように浮かんでは消えている。
生きる事とは何なのか。
では逆に生きているという状態はどういう状態を指すのか。
まるで病気だ。
聖児は頭を振って思考を頭から追い出した。
ふと見上げた空が高い。真夏より濃く、冬よりくすんだ空の青は天に地球の青を映したようだ。
空の下では人間などちっぽけなものだ。きっと生死もそうだ。
聖児は空を見上げたまま、雄大なその存在に安堵感を覚え、静かに目を閉じた。
「もしもし、大丈夫ですか?」
唐突に脳裏に言葉が響いた。何故声が聞こえるのだろう。
聖児は一瞬自分の置かれた状況が分からなかった。
「もしもし、もしもし!」
若い女性の張りのある声だ。
聖児はその声が自分に向けられているのだと理解して瞼を開けた。
そこには髪をショートカットにした、薄い水色の作業着を着た同年代くらいの女性の姿があった。
「あ、すみません。ちょっと寝てしまって」
聖児は女性に顔を向けると、階段の段差が当たっていたのだろう、背中に鈍痛を感じながら言った。
「良かったぁ~。猫だけじゃなくて人まで死んでいたら警察呼ばなくちゃならない所だったから」
溌剌とした声の女性は童顔である事を差し引いても、行っていてせいぜい二十代半ばという所だろう。大きな瞳に活力があり、見る者に瑞々しさを感じさせる女性だ。
「保健所の方ですか?」
「ええ、柏木ひかり。崎島区保健所の人間よ」
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