語られぬ一幕

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 長太郎は下手に撃って刺激するより、安全に後退するためにM4を頬付けしたままゆっくりと後退る。 「怪我の具合はどうだ?」 「軽い捻挫だよ。……でも、動かさない方が懸命だね」  流石に医師を目指すだけはある。簡単にではあるが綺麗に処置されていて、長太郎は改めて戦争に於ける衛生兵の重要性に気付かされた。 「…………仕方が無い。ここで迎え撃つしか――――」 「遠藤君」  橘を見捨てるという選択肢が存在しない長太郎がこの場で敵を迎え撃とうと口にするが、橘はそれを遮るように言葉を紡ぐ。 「私、負けず嫌いなんだ。知ってるでしょ?」  言われなくても分かっている。橘はオンリーワンを望んでいない。常に一番で在る事を渇望している。――――それはある種、呪いにも似た常勝願望。  同じくヒーロー願望を持つ長太郎にはその気持ちが痛い程分かる。常にそれを優先とし、切実に望んでいる。喉の渇きのような、飢えのようなもどかしさ。水は目の前にあるのに、それを手に出来ない苦しみを知っている。長太郎も飲めない水を唾液で誤魔化すように、ヒーローのコスプレをしたり技名を叫んだりしている。  故に橘の気持ちを尊重したいとも思う。  しかしヒーローとして、言い換えれば『私を見捨てなさい』と言っている橘のその願いを叶える事は出来ない。橘が無理を通すなら、長太郎もまた無理を通すだけだ。  ちらりと残弾(エネルギー残量)を確かめ、残りが心許ない事に気が付いた長太郎はその場でマガジンを交換する。  橘はタクティカルリロードを始めた長太郎を不審に思い眉を寄せ、すぐさま長太郎の意図に気付いて口を開く。しかし、それより僅かに早く長太郎は駆け出していた。無論それは後退ではなく突撃だ。  近くの木で身を隠し、殆ど腕だけで適当に弾をばら蒔く。適当とは良い意味でなく悪い意味であり、当然の如く敵には掠りもしない。だが――――
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