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入院して数日経つと、次第に真拆は食欲を失い、日に2匙ほどの水と豆の他は、睡眠導入のために愛飲していた白ワインをすこし舐めるだけで、食事らしい食事をしなくなってしまった。
また食器類は銀器でなければ肌が受けつけず、木製やステンレス製のものをひどく嫌うようになった。こうした生活を続けることで、かえって美しく変貌してゆく自分のすがたを彼は畏れた。
その夢を見たのは、玲瓏とした秋空にギルエ伯爵家の銀皿のような美しい月の懸る夜のことである。どことも知れない曠野には壊れた時計が散在していて、そのすべてが壊れている。半ば埋もれたものもあれば、夜空に静止しているものもあった。一歩ごとに静寂が肌を切りつけ、真拆は壊れた機械人形のように前へ前へと進んでいく。その先には夜空の半分を占める壊れかけた月が在り、規則正しく動く歯車が剥き出しになっているのだった。変化らしい変化は何もなく、ただその光景がいつまでも続いた。
眩さで目を覚ますと、開け放たれた窓から今宵の月が真拆を視姦していた。強い月光は真拆の肌に滴り、薄らと骨が透けて見えさえした。かつてないほど月の存在を強く意識した真拆は暴力的なまでの恍惚に抗うごとができず、半裸のまま寝台を下りた。月光が溢れる露台に出た真拆のからだは完全に透けて、その体内を流れる血液がはっきりと見えた。
血は液体ではなく紅い顆粒であり、心臓からさらさらと腰のくびれを通って膕まで流れ落ちてゆくそのさまは、さながら硝子の砂漏だった。一篇の画題にもなりうるこの悪夢のような一光景を見たのは灯台から天体観測をしていた或る青年ひとりだけで、彼はその場で失神してしまった。
翌朝、寝台のシーツを紅く染めて睡りこけていた真拆は夕刻になっても目を覚まさなかった。
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