零 刻渡

5/13
前へ
/38ページ
次へ
なにぶん田舎だけあって熊や猪の目撃情報も少なくない。 獣の類いだろうかと身を固くしてその場から動けなくなっている三人の前に、転がるようにしてその影は現れた。 正確には勢い余って時雨にぶつかった末、時雨を巻き込んで転倒したのだが。 それは、どこからどうみても人で、諒は少し安心する。 「時雨!大丈夫? ……えっと、そちらの方も……大丈夫ですか?」 時雨に駆け寄れば、「平気」と手を軽く振って伝えてくれたが、ぶつかってきた方は蹲ったまま動かない。 (まさか打ち所が悪くて、とか……) と嫌な予感が頭を過り、恐る恐る近寄った諒は、相手が突然顔を上げたものだから驚いて仰け反った。 続いてその顔が目に入り、息を呑む。 すぐ側の時雨も、距離を置いている千尋も諒と同じような反応で驚きを露にした。 その人は女性で、しかも明らかに外人とわかる彫りの深い顔立ちをしていた。 女性にしては短めの髪に、薄暗い街灯の明かりでもわかる色素の薄い瞳が印象的だ。 女性はキョロキョロと落ち着きなく辺りを見回し、そして近くで呆気にとられて彼女を見ていた時雨と目を合わせた。 その瞬間、彼女は大袈裟なくらい肩を揺らして身を強張らせた。 「……し、しもつき、あかし……?」 恐らく、それが聞こえたのは間近で聞いていた時雨だけだっただろう。 ただし、その時雨にもその言葉の意味は分からなかった。 『しもつきあかし』がどういった意味を持つのか考える暇もなく、女性は横這いのまま手と足を必死に動かしてずるずると後ろへ逃れようとする。 尋常ではない怯え方だった。 しかもその対象は、どういうわけか時雨のようなのだ。 時雨は助けを求めるように諒を見上げるけれど、姉の瞳も困惑の色に染まっていた。 どうすることもできずにただ見ていると、女性の動きが急に止まった。 アスファルトを這っていた彼女の腕が、指先に触れた物を無我夢中で引き寄せる。 それは、小さな黒っぽい布地の袋だった。 姉弟の目には何の変哲もないように見えたが、女性はそれを手にした途端、分かりやすく落ち着きを取り戻した。 諒たちが息を詰めて見守る中、彼女はそれを大事そうに抱え込み、今までの形振り構わない逃げ方が嘘のようにゆっくりと立ち上がる。 そしてもう一度、今度は挑むように時雨を見た。 ――と思えば、色素の薄い目を僅かに見開く。 「違う」と、唇が動いたような気がした。
/38ページ

最初のコメントを投稿しよう!

8人が本棚に入れています
本棚に追加