プロローグ

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「ママ、ただいま」 7歳の秋、小学校から帰ってきたタケルがランドセルをかるったまま、縁側で庭の桜を見上げる母を呼んだ。 「あら、おかえり」 どうやら洗濯物を畳んでいたようで、彼女の手には小さな子供服が握られている。 それはカンタが幼児の時に着ていた服だ。 あれから4年。 ヨシノは随分立ち直ってはいたが、まだどこかで「帰ってくるかもしれない」と思っているのか、年に数度は子供服を洗いながら桜の木を見上げている。 「この木ね、ママが幼い頃から立ってるのよ。当時はこの一帯はまだ小さい森だったけど、あの時からもうこんなに太くて大きくて、ママこの木が大好きでね。…このあたりが拓かれて分譲されるって聞いて、パパに無理言って一番にこの土地を購入したの」 懐かしそうに目を細めて、ヨシノが手元の子供服に視線を落とす。 「すぐにあなたたちが生まれて…二人もこの木が大好きだったわよね…」 愛おしむようにタオル生地のそれを撫でて、込み上げるものを堪えるように震えた。 「お兄ちゃん、どこ行っちゃったんだろうね」 最後の方は声にならず、そのまま子供服に鼻先を埋めた。 小さく嗚咽をあげて、どこまでも纏わり付く悲しみに肩を震わせる。 「ママ」 4年間。 あのナイショ話の日の出来事を胸に秘めてきた。 幼心に、「自分があの時止めていたら」と思わない日はなかったが、例えそうしていたとしても、兄の心は揺るがなかっただろうと思う。 救われた気がするのは、自分達が2卵生双生児であったことだ。 この顔を見て両親が悲しむ回数は、1卵生であった時よりは少ないだろうと思えたからだった。 「カンタはもう帰ってこないよ」 タケルは桜の木を見上げた。 思えばこの木が、庭が、始まりだったのだ。 「ママ、信じてもらえないかもしれないけど、本当はね…カンタも僕も、植物の声が聞こえるんだ」
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