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ヨシノの目は、冗談を受け止める時のそれだったけれど、タケルは構わず続けた。
「僕は3歳くらいからだったけど、カンタは生まれてすぐ聞こえてたみたいで、この桜の木によく話し掛けられたって。」
カンタの喋りの上達は脳の異常発達ではなく、庭の木々や草花、抜け道にするノラ猫らが引っ切りなしに話し掛けて来たから、言葉の意味を理解するチャンスが人より圧倒的に多かったからだと、彼自身が言っていた。
「声って言うより、ザワザワした振動っていうか、体全体で感じる意識みたいなものなんだけど…耳を塞いでもダメなんだ。これって普通はない感覚なんでしょ?」
タケルもカンタがいなくなる少し前から聞こえはじめ、それと同じ状況に置かれたが、カンタを失い静まり返った家庭内で発する言葉も少なく、両親が彼のその成長の変化に気づくことはなかった。
「カンタがあの日見たテレビ…僕は見ちゃダメだって言われて見なかったけど、多分普通の料理番組だったと思う」
今まで友達のように話してきた鳥や草花が切り刻まれる画面に、そしてそれを普通に放送する常識に、カンタは頭がおかしくなりそうだと小さな体でガタガタと震えていた。
同時に、何度も庭で吐いた。
今まで食べてきたものを全て出そうとするかのように、喉の奥に指を突っ込んで。
「カンタは……」
そこまで言って、タケルは桜から母親へと視線を移した。
その間も、庭の方からはタケルを心配するようなたくさんの感覚がざわめいては体を刺激する。
怯えるような母の目に躊躇するけれど、それでもその手の子供服が背を押した。
「カンタは戻って来ないよ。湖に入って、ずっと行きたがってた場所に行ったんだ」
ザブザブと水を掻き分ける音。
その細腕には重すぎるであろう岩を服の中に抱えて。
フラフラと危なげに揺れる見慣れた小さな後ろ姿が
振り返ることなく吸い込まれて消えた。
残された水面の波紋に、タケルは声を上げて泣いたのだった。
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