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ふんわり。
最近ようやく冷たくなってきた風が、生まれてこのかた纏まったことがない天然パーマをなびかせた。田園が広がるこの地帯は、都会を対義語で表すなら、その答えは間違いなく『田舎』で正解だ。
「さむ…」
もう何年も愛用しているバーバリーのマフラーを口元まで運んで、福田 慧愛はすっかり白くなった吐息を霧散させた。冬が、やってきたのだ。
「はやく帰ろ」
慧愛はぶる、と身震いすると、小さめだった歩幅を大きくした。
地元の澄んだ空気は好きだし、空にまたがる満天の星空もまた、誇らしくもある。
けれど、寒さにはどうも、性分に合わないらしい。冬は嫌いではないのだけれど、家のリビングに鎮座するコタツが、今は恋しかった。
「…ん、?」
夜風に乗っかって、線香の匂いが鼻を掠めた。どこかでお通夜でも開かれているのだろうか。
こんな満月の綺麗な夜なのに、もしかしたら故人も、最期の夜を家族と共に過ごしているかもしれないな。
右手に持つ買い物袋が、小さくカサリと音を立てた。
「何かが起こりそうな予感がするな」
今日の夕飯はカレーだ。あれは日持ちするから、独り暮らしにはもってこいのレパートリー。要するに、慧愛の直感は98%の確率で的中する。残りの2%は、直感と真反対の答えを出してしまった事例の数値。
やがて、物静かな田園地帯を抜けて、少し都会寄りの空間に入る。
ここは国道も通っているので、何かしらと走行車は後を絶たない。慧愛はここの車道を、隙を見て渡るのが日課になっていた。
少し歩けば横断歩道があるのだけれど、以前そこを渡っている途中にダンプカーに轢かれかけて以来、何度か同じ目にあってきた。
それ故に、あそこはぜったいに通らないと変な意地が生まれたのである。車道を横断するより、リスクは少ないと誰もが思うのだけれど、彼女は元来、頑固な性格の持ち主だった。
「だー…疲れた…」
慧愛は、マンションのホールで盛大に溜め息をついた。部屋まで我慢が出来なかったらしい。
荒々しくエレベーターのボタンを押して、しばらくしてまたボタンを連打する。
以前、友人に言われた言葉が『一回押してるんだから連打しなくてもいつかは来るよ。』まさにその通り。彼女はいつも慧愛の行動に対して、冷静に正論に物事を言う人だった。
やがて一階に降りてきたエレベーターに乗り込み、八階へ続くボタンを押したのだった。
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