志賀の陣

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そんなことは分かっている。 だから、貴賎も何もない世を、平和な世をと願う信長を、否定しきることはできない。 きっと彼は誰より高潔な理想を描いていて、その理想を実現するためにこうも生き急いでいるのだろうから。 けれど、それだけではだめなのだとも、知っている。 人には感情があるのだ。 信長の理想とする世が素晴らしいことは判る。 一刻も早くそれを成せば、民草に安寧が齎されるのだとも、思う。 けれど、それだけでは、だめなのだ。 信長が急げば急ぐほど、零れ落ちていくものがある。 人とは、たいそう勝手な生き物だから。 自分が他人を傷付けても平気な顔で生きていくくせに、自分や自分の大切なものを傷付けられると、ひどく憤る。 そうして胸に巣食ったわだかまりはいつの日か、傷付けた者に跳ね返っていく。 それを無視してことを推し進めれば、必ず何処かで何かに綻びが出る。 例えば、婚姻での同盟を結びながら、信長の下を去った長政のように。 信長は急ぎすぎたのだと、思う。 信長の理想は高潔で、素晴らしくて、見るに値する夢だ。 けれど急ぎすぎるあまり、彼は、人の心を見ることを忘れた。
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