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同年、五月六日。
長政は、小谷城を出て木下秀吉の守る横山城付近に布陣した。
先陣の浅井七郎井規に湖北一向一揆衆を含む五千の兵をつけ、堀秀村の守る箕浦城と、その家老樋口直房の守る鎌刃城に攻め入らせた。
秀村は、元々は長政の家臣だったが、美濃菩提山城主竹中半兵衛の勧降と、家老樋口直房の勧めを受けて織田方に寝返っている。
鎌刃城より約二十六里ほど北に位置する横山城は織田方の対浅井戦の最前線であり、横山城を任せられた秀吉は堀ら国人を与力としていたため、鎌刃城を落とされると、敵の中で孤立してしまう。
秀吉はすぐさま、兵を率いて出陣した。
併し、このとき秀吉が率いたのは、僅か百騎ほどだったという。
敵の目から隠れながら鎌刃城に到着した秀吉は、城兵と合わせても僅か六百ほどの小勢にしかならない軍で、それでも果敢に井規軍を攻め立てた。
箕浦から八幡まで追い立てられた浅井軍は、琵琶湖に追い詰められ、その多くが溺死。
残された浅井軍は、命からがら小谷城に逃げ込むのがやっとだった。
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