24人が本棚に入れています
本棚に追加
永禄二年四月。
浅井賢政は平井定武の娘を返し、六角氏との手切れを宣言した。
浅井家中の人心は、久政から、遂に鬨を上げた賢政へと一気に流れた。事実上、久政から賢政へと浅井家当主の交代が成った出来事だった。
賢政は赤尾美作守清綱、百々内蔵助、丁野若狭守、遠藤喜右衛門直経、安養寺三郎左衛門尉氏秀らと通じ、浅井家独立を賭けた戦の準備をはじめる。
同年五月には、六角氏方だった犬上郡肥田城主高野瀬秀隆を誘い、百々内蔵助を城代として佐和山城へ入れた。
これを受けた六角義賢は、後藤重左衛門尉賢豊、蒲生下野守定秀、池田宮内丞定輔らに佐和山城を陥とすよう命じたが、とうとう城は陥ちなかった。
肥田城もまた、六角氏の水攻めが失敗に終わり、陥ちることなく戦は終わった。
最初のコメントを投稿しよう!