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天文十四年、猿夜叉、後の浅井長政は、浅井久政の長子として産声を上げた。
浅井氏はもともと、伊香郡、東浅井郡、坂田郡の江北の守護だった京極氏が守護大名へと成長する過程で京極氏に組み込まれた、国人領主に過ぎなかった。
併し、国人領主を組み入れたは良いが、京極氏がそれ以上の力を得ることは無かった。
京極氏の被官となった国人たちが京極高清の専横を嫌い、揆を一つにし立ち上がったからである。
この一揆で台頭してきた者こそが表舞台に姿を現した浅井氏の初代亮政だ。
これが亮政の出発点だった。
高清は逐われたが、京極氏の同族である南近江の六角氏はこれに怒り、北近江に幾度と無く攻め入った。
幾ら京極氏を逐ったとは言え、逆を言えば京極氏を逐うためだけに結集した一揆衆だ。統率者も無い集団が、戦に勝る筈も無い。
事実、亮政も何度も敗れ、その都度に浅井氏は没落したが、亮政は諦めなかった。亮政は必ず北近江に復帰を果たし六角氏と戦った。
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