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その亮政の姿に、やがて国人達は拠るようになる。 衆望を背負い指導者となった亮政は領国経営にもその手腕を発揮しそれに応えた。 亮政は嘗ての仲間を排するのではなく、その仲間に望まれ、またそれに応えることで、浅井氏の権勢を固めていった。 併し人の命とは儚いもの。 二十年近く六角氏と戦って来た亮政も、死と言う敵に敗れては、立ち上がることも出来なかった。 亮政がこの世を去ったのは、天文十一年、正月六日のことだった。 ちょうどその頃、六角氏の当主は定頼から義賢に代わり、亮政の跡は、まだ十七歳だった久政が継いだ。 これがまずかった。 浅井氏の家臣達は、もともとは亮政と対等な立場だった者が多く、彼らは主君が亮政だから浅井氏に従属していたふしがある。 亮政になら仕えられても、久政に仕えることは矜持が許さなかったのだろうか。 彼らは、嘗ては共に倒そうと誓った筈の京極氏から、高清の跡を継いだ高広を盛り立てようとさえしはじめた。 更に悪いことに、義賢はそれまで敵対関係にあった三好長慶と手を結び、浅井氏攻略に本腰を入れ始める。 そのような多難が浅井氏に降り懸かる中、長政は、生まれた。
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