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目を閉じると、まだ幼く小さな子犬だったころを思い出す。
どうして僕がこの町に来たのか。
実はよく覚えていない。
母親や兄弟たちと車に乗せてもらったことは覚えているのに、気付いたら独りぼっちで見知らぬ道を駆けていた。
「ワンワン、ワンワン」
好奇心旺盛で、見るもの全てが真新しく感じた。
寂しさや不安はまだない。
新鮮な景色に気を取られて、このあと自分がどうなるのか分かっていなかった。
緑豊かな街の一角を風を切って走る。
そんな時、曲がった道の先に黒いランドセルが見えた。
体が小さいのか異様にランドセルが大きく見えて、それ自体が歩いているのかと思った。
人見知りをしない僕は、すぐにその背中に追いついた。
「ワンッ」
(君、誰?)
愛想よく声をかけたつもりだったのに、彼はひどく驚いて飛びのいた。
「うわああああ!……び、びっくりした」
「ワンワン」
(遊ぼ、遊ぼ!)
ひとりで走り続けるのに飽き始めていて、仲間を見つけたと思った。
めいっぱいに尻尾を振って喜びを表現する。
すると彼は泣きそうな顔で笑った。
当時はどうしてそんな顔をするのか分からなかった。
ただ胸の奥がツンとして僕まで泣きそうになった。
「首輪がついてる。どこかに飼い主いるのかな」
彼は辺りを見回す。
しかし周囲には誰もいなかった。
当然だ。
僕ははぐれて迷子になってしまったのだから。
「よしよし」
「はぁ、はぁ、はぁ」
小さな手が僕の頭を撫でる。
ぎこちないのはきっと犬に接したことがないのだろう。
その手の感触が気持ちよくて目を細める。
だが次の瞬間には僕の鼻が良い匂いを嗅ぎあてていた。
(おなかすいた)
本能のままに生きる犬はこの匂いに敏感である。
せっかく彼と遊ぼうとしていたのに、興味は次に移っていた。
よく見ると、さらに奥の道には良い匂いの元を持っているお姉さんがいる。
「ワンワンッ」
僕は彼のもとを飛び出して、お姉さんに向かい駆け出した。
その後ろ姿を彼がどんな気持ちで見送っていたのか、今考えると、胸が潰れそうになる。
だが人と違い理性も利かない。
まだ子犬だったのだからなおさらだ。
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