雨の季節に

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気持ちを切り替える様に彼女が明るい口調で告げた刹那――不意にテラスの方から陽気な声が掛けられた。 「やあ、愛しの君。そろそろ頼まれる頃じゃないかと思っていたよ」 穏やかに微笑む青年に向け、メリュケイアは喜びに満ちた笑みを湛えながらも慌ててテラスへと駆け寄った。 「まあ、クロフェルド!此の雨にも関わらず来てくれたのね。さあ、中へ入って」 恋人である彼の髪や衣服は、雨ですっかり濡れてしまっている。ランプの灯に照らされ、腰に提げられた銀の弓を煌めく雨露が宝石の様に飾る様は美しかったが、放っておけば錆びてしまうだろう。 棚から有るだけの布を取り出し手渡すと、愛しい恋人は笑顔で礼を口にし、続ける。 「お陰で君の織る沢山の美しい虹を上空から観る事が出来るから、雨続きでも悪くは無いさ。君は大変だろうけれど……」 濡れた手を拭った後で、彼はメリュケイアの滑らかな繊手を労る様にそっと握った。 「ふふ。貴方のその言葉だけで疲れも吹き飛ぶわ。何か温かな物を淹れるわね」 名残惜しくも、細身の割には逞しいその手を離すと、メリュケイアは城の厨房へと駆けて行った――。 ――黒い猫が……浮いてる……。 自分を見詰める緋色の鋭い双眸を凝視しながら、ヴァルティカは頸を傾げる。 ――そう言えば、前にダリニウスが来た時に、おかしな魔猫が居るとか喋ってたっけ……。 何かと仕事の邪魔をしに来る酒神の言葉を少女が思い出していると、黒猫は空中を身軽に跳躍し彼女の足許へと降り立った。 「……お前、何しに来たの?」 感情に乏しい少女は冷ややかに告げると、崖の縁伝いに進みつつ桶に残っていた水を撒く。その足で井戸へと戻って行くと、黒猫も後を追って来た。 彼女がロープに繋がれた井戸桶を地下の暗い水面へ落とそうとした瞬間、人間に或る禍因を齎すとされる魔の猫が、その桶に勢い良く飛び乗って来る。 「っ! お前も邪魔をするの!?」 地面に落としそうに為った桶を慌てて抱え直し、その中に我が物顔で鎮座している黒猫を睨む。そんな少女を見上げていた魔猫は不意に緋色の眼を細めると、小憎らしくも笑ってみせた。 ヴァルティカの水底に落ち行く翠玉の様な深い色合いの緑瞳に、怒りの火が点る。 「今は忙しいんだから、邪魔しないでっ!! 此の丘から出て行って!」 少女が猫と小さな諍いを起こす間にも、刻々と地上の時は流れて行く。
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