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自身の長い黒髪に触れながら、幼い王女は決意を秘めた瞳で呟いていた。
黒髪の人間は此の国では珍しく、王家の血筋では特に輝かんばかりの金髪の者が多数を占める。兄のリベルレイツも父譲りの見事な金髪であったが、彼女の髪は母譲りなのだ。
亡き母は他国の王女だったが、其処では黒髪も珍しくは無いのだと言う。幾度か外交で訪れた親戚達の中にも、黒い髪は多く見られた。
「此の国の人達は黒髪を墨で汚したみたいって馬鹿にするけれど、母様の髪はとても綺麗だったもの。母様の国は此処よりもずっと自然に恵まれた豊かな処なのよ。だから私は、母様の国に嫁ぐの」
縁に細かな刺繍が施されたテーブルクロスの上で寛ぐ、自分の髪と同じ色をした猫の背を撫でながら、彼女は語り続ける。
兄である前王は妹の望みを叶えようとしてやっていた。それを知るジルラッドも、きっと彼女の意志を尊重してくれるだろう。
主治医により兄の死が確認された直後、激しい気性の従兄が人目につかぬ場所で哭いていた事も、王女は知っている。彼は他国の血を引いた従兄弟達を、実の兄弟も同然に愛しているのだ。
だからこそ、従兄が王に為ってくれないと困る。それが今年で十二と為る我儘な王女――リュゼローザの心からの願いだった。
彼女が猫を相手に語り続ける間にも、日照りは続き大地は乾いて行く。数有る貯水池の水も、既に尽きようとしていた。
耳をそばだてる黒猫は時折、頸を傾げる様にして幼い王女の話を聴いていたが、その緋い眼の奥には底知れぬものが渦巻いていた――。
束の間、雨が止んだ時を見計らい、肩に大量の白糸の束を掛けた青年が、空中を宛ら道化師の様な身軽さで器用に渡って行く。
彼の仕事に不可欠な天上の高みに張り巡らされた長く丈夫な綱は、太陽と月、そして此の星を廻す為の三基の滑車台へと繋がる物だ。
只管に上空を目指し、重く垂れ籠める雨雲の海を抜けると、三つの滑車を廻す技師であるクロフェルドは眼下の雨模様を確認しつつ宵闇の迫る東の空へと急いだ。
黄昏時の国を覆う茜色の空を越え、軈(ヤガ)て眩い月が雲上に輝く夜に辿り着く。
其処で彼は、恋人から託された白糸の束を広げ綱へ掛けると、月光が糸を染める迄の間、辺りを散策し始めた。
――ん?あの辺りには雲が掛かっていない様だな。
大陸の外れの一部だけが晴れ渡り、月光が地上を照らしている様を認め、彼は怪訝な表情を浮かべる。
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