雨の季節に

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その禍々しい緋色の眸に、ジルラッドは何やら不吉な予感を覚えるのを禁じ得なかった。 そうして時は過ぎ、満ちた月が煌々と地表を照らす夜が訪れる。 その月明かりの恩恵を授かりながら、城の前庭に造られた祭壇で先に祈り始めたのはリュゼローザだった。 集まった家臣や王都の民達が固唾を呑んで見守る様子を眼前に、儀式様に急遽、誂えられた白絹のローブの裾を風に揺らしながら、両手を組み祈りを捧げる。 「遥かなる天上より慈雨を降らせ賜う星の大樹よ、どうぞ我が国へ恵みの雨をお授け下さいませ……」 幼いが凜と通る高い声が夜の静寂を割り、その場の厳粛な空気に包まれた人々の耳に届く。然し、その祈りは虚しくも晴れ渡る夜空へと消えて行き、雨の降りそうな気配など欠片も感じられなかった。 控え目な落胆の声が、衆人の中から次々と漏れ聴こえて来る。リュゼローザは最後に夜空の月を見上げた後で、伏し目がちに壇上を降りて行った。 人々の眼には幼い王女が哀しみに沈んでいる様に見えたのだが、実際には彼女は笑いを堪えるのに必死の状態であったりする。 ――私のお祈りなんかで雨が降る筈は無いのに。皆、お馬鹿さんなのね。もし、ジル兄様にも無理だったとしても、きっと強引にでも王に為ってくれるわ。 祭壇から降りると、やはり白のローブに身を包んだジルラッドと視線が合う。リュゼローザは何時もと変わらぬ無邪気な笑顔で彼の大きな手を取ると、その甲に小さな唇を押し当てた。 「天国のリベル兄様が、御力添えをして下さいますように」 「リュゼローザ……」 神妙にその名を呟いた後で、ジルラッドは幼い従妹をそっと抱擁した。壇上に焚かれた香の仄かに甘い馨りが、気高き宵闇の様に流れる黒髪に移っている。 祭壇の陰で起きたその微笑ましい様子を見ていたのは、昔から二人の傍に仕える侍従達のみであった。 リュゼローザに替わり登壇したジルラッドは、晴れた夜空を睨(ネ)め付ける様に見上げると、祈りの言葉を口にする事も無く沈黙した儘、祭壇に立ち尽くした。 月明かりと篝火に照らされるその顔は堂々として威厳に満ちており、見る者を圧倒する激しい気迫を滲ませている。王家の血に継がれて来た眩い黄金の髪が、更にそれを引き立てていた。 そんな彼の姿を前に、騒めいていた民衆も一斉に静まり返る。其処へ急に強い風が吹き始め、祭壇を囲う篝火の炎を激しく揺るがせた。
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