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しかしこの男、「これくらいは出来て当たり前よ」と緩んだ表情を引き締め直す。
そんな事を言われれば世に蔓延る剣を嗜む者達は「そんな訳あるかッ!」と声を大にして言ったであろう。
しかしこの男はそれを当たり前のようにやってのけるキドウマルの背中しか知らないのである。
今自分が背中に差しているノブツナを使い、三百はあろうかという巨大な熊の首を一太刀の元に斬り落とした師の姿を見たときは身も心も震えたものだ。
そう考えると再び今生の別れを告げた師の顔が頭に思い浮かんでくる。
意外にこの男、スッパリと別れた手前言い出しにくいが未練タラタラの状態であった。
「これくらい訳無い」
「凄いですね!あの……もし宜しければお礼をさせて貰いたいのですが」
「礼?」
首を傾げるジュウべエに小さく頷く女。
この女、このまま真っ直ぐ行けば着く小さな村『トロロ村』で呉服を売っている店を営んでおり、今回はもしあの時ジュウべエが左を選んでいれば着いていた街『ユルゲン』に品物を売りにいった帰りだったのである。
女の一人旅は危険とはいえ、護衛が居れば大丈夫だと一人の男の護衛を連れてぶらりぶらり。
そして運が悪い事に二十人ばかしの野盗に襲われ、自分は身を呈して庇ってくれた護衛に任せてひたすら逃げ帰っていたのである。
そしてぞろぞろと女一人を追い掛ける訳にもいかない為、先程の三人が追い掛けたという訳だ。
ということは先程ジュウべエが見た血の臭いのする場所が護衛と野盗が戦った場所なのである。
いやはや亡骸は無くやられてしまった名も無き護衛ではあるが、死んだ後も血の臭いでジュウべエを引き付け雇い主を守るとは護衛冥利に尽きる男であった。
そしてこの女、礼をする気持ちは本物であるが護衛亡き今道中の危険から守ってくれる者としてジュウべエに目をつけたのである。
なんとも強かな商人気質の女性である。
「ならば食料と水を貰いたい」
「はい、喜んで!」
そんな思惑露知らず、ジュウべエは備えあれば憂い無しとばかりに現物を注文する。
それを聞いた女は満面の笑顔の後、自分の家があるトロロ村へと歩を進める。
てっきり今すぐに貰えると勘違いしていたジュウべエであったが、雰囲気に流されるまま女の後を着いていく。
いやはや何とも締まらない男であった。
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