一 師の言葉

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 人の気配を感じさせない山間深く。  そこにひっそりと周りを囲む木々達に隠れているかのように佇む一つの荒寺。  柱は傷付き障子は破れ、人が住むような気配は無し。  もし居るとするならばねぐらを求めて来た山の動物か、正体不明の魑魅魍魎などであろうか。  けれどもその荒れ果てた寺の中から何かを打ち合うような甲高い音が響き渡る。  いやはや人の気配のない場所で音を発てるは一体何か。  荒れた寺内走る隙間風か野生動物の縄張り争いか、はたまた本当に魑魅魍魎悪鬼羅刹がそこに居たのか?  そんな事はありもせず、居たのは大柄で老年の男と細身長身の若い男。  老年の男は膝に届くかもしれないと思える程の顎鬚を蓄え、逆に毛髪は何処を見渡しても産毛一つも見えて来ない。  荒れた寺に相応の痛んだ法衣に身を包み、木刀を握るその腕には年相応の深い皺が刻まれている。  しかし同様に深い皺に刻まれた老年の男の顔に光る二つの眼は燃え滾る様な生気を迸らせていた。  そして相対するは細身長身着流しの男。  百九十程はあるであろう身長だが、決して飄々とはならず細身といえど引き締まっている。  口を真一文字に結び、目の前で木刀を構える男を見る目は正に獲物を狙う獣の如く鋭い。  そして相手が木刀なのに対して男が構えているのは撫でれば何でも斬ってしまうのではないかと思える程の鋭い輝きを放つ真剣。  持っている得物で言えば老年の男に勝ち目は見出だせない。  それを知ってか知らずか若い男が静寂を破って距離を詰める。  背を低く大股一歩に目掛けて跳躍。  相手との距離を感じとった男は手に持つ得物を横薙ぎ一閃。  腕が霞んだように見える程の速さで振るわれた剣は身動き一つしない男の身体を真一文字に裂いた。  ……かに思えたが、音も無く後退していた男に一歩届かず法衣一枚裂くに終わる。  そして男はそのまま動揺の欠片も見せずに木刀を目の前の頭に叩き込む。  強烈で鈍い音が辺りに響き、男は手に持つ剣はそのままに勢い任せで地面に落ちる。  そしてその場に正座し剣を腰に差していた鞘に納めると、勢い良く目の前に佇む老年の男に向けて頭を下げた。
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