一 師の言葉

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「今までの御指導、ありがとうございましたッ!!」  若い男の姿は世に言う土下座と同じである。  謝罪ではないが、誠心誠意の感謝の意を篭めて大きな身体を懸命に曲げて頭を下げる。  それを見ていた老年の男は無表情だった表情を口元歪めて小さな笑みをつくり、そのまま何処とは言わずに歩いていく。  若い男はその遠ざかる足音が完全に聞こえなくなるのを確認して頭をあげ、周りを見渡した後に大きく一度息を吐いた。  この男、名をジュウベエと名付けられ今年で齢二十一になる。  生まれいでたは何処とは知れず、乳飲み子の時にこの世の秘境とも言えるこの場所に捨てられていたのを師であり養父である先程の老年の男に育てられたのだ。  さてそれならば、ジュウベエを語る為にはまず師である男の方を語らねばならないだろう。  老年の男の呼び名はキドウマル、既に俗世を離れる為に出家しており本当の名前はジュウベエにも教えていない。  はてさてこのキドウマル、背は百八十に横はジュウベエの二倍はあるのではと思える程の身体つき。  おまけに自慢の顎鬚も相まって世では専ら『オオエヤマの怪僧』との呼び声高い。  それにこのキドウマル、とんだ食わせ者で、出家し僧侶になったにも関わらずそんなものは格好だけで、外に出れば動物殺してその肉喰らって酒を呷り、暇な時には弟子のジュウベエ相手に剣の稽古。  神や仏が何だと言うか生臭坊主がまかり通る。  それに対する本人の言い分がこれまた凄く、「神や仏が居るのなら罰でも何でも落としてみろ!」と声高々に宣言する厚顔ぶりを発揮し、それを見ていたジュウベエが納得したからもう止まらない。  そしてこのキドウマル、剣を振るえば天下一と豪語しており、それに見合う凄まじい実力を持っていた。  昔は名のある武人だったか、それとも悪名轟かす極悪人だったかは出家した今分からないが、世に名を轟かす剣豪であったのは間違い無いだろう。  そんな男は三歳という元気が有り余る歳であったジュウベエに剣を握らせ、それから十八年鬱憤を晴らすかのように叩いて叩いて叩きまくった。  対するジュウベエもただ殴られるだけは性に合わず、身体と一緒にメキメキと剣の腕をあげていった。  そして先程法衣といえど一太刀浴びせて免許皆伝。  いやはやこの男、この十八年一太刀も浴びぬ人外振りであった。
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