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ぼくはそこから動けなかった。
玄関からそこに出て、そのまま
動けなかった。
人々の喧騒もいまは遠い。
幻想的ですらあった。
医大の校舎なのに、現代が生んだ残酷な技術の最先端が集まってる場所なのに。
薬のにおいしかしなかったのに。
荒れ果てた中庭に少女がいるその光景は、幻かなにかではないかと思ってしまうほどだった。
「……帰らないから」
ぼくは思わず呼吸を止める。
白いワンピースを着た女の子が、ぽそりとつぶやいたのだ。
「帰らないから」
ひざあたりの布地を、きゅっと
握って、肩をこわばらせて。
通りがかりの人を警戒している、子猫みたいだった。
「……」
その手の甲にぽたりと、涙がこぼれ落ちた。
逆の手で涙をぬぐって、小さく
のどを鳴らす。
ぼくはなにも言えなかった。
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