第二十九譚 私にとっての負け

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 地面を転がった是堂。その拍子に、彼が胸ポケットに入れていたらしいピルケースがはじけ飛んだ。ピルケースの蓋が開き、カプセルがはじけ出る。街灯の僅かな光を浴びて、錠剤が鈍く照らされた。 「そして俺は父と違って、愛情を持っていない」  かつ、かつ、と音を立ててフィノが是堂へ歩み寄る。その姿を見て雷斗は気づく。  この人、初めて歩いた。  何とか立ち上がろうとする是堂の前に立ったフィノは、苦し気に咳を繰り返す彼を見下ろす。這うように僅かにだけ動いた是堂だったが、最早まともに立ち上がるだけの力も残っていないようで、無様にずるっ、と滑った。……自分の血で。 「放っておいてもその毒で死にそうだが」  毒。フィノの言葉で是堂の周りを見ると、彼の周りに飛び散ったカプセルが壊れ、その中身が雨水に融け出し始めていた。あれが毒物ならば、それを浴びて無事では済まないだろう。 「だが、ここまで立ち向かった君には、敬意を持っているよ」  フィノが取り出したのは、一本のナイフ。そこにはアーカイバー一族の紋様も、彫師による装飾もされていない。無名の、数多ある中の一本に過ぎない刃。その刃を握り締めたフィノが、倒れている是堂の喉元あたりにナイフを構えた。 「せめて安らかに終わらせよう。さようなら」  ふっ、と。全ての街灯が黒い炎を湛える中で、フィノは刃を振り下ろした。迷いなく一閃に。  終わったな。 「ッ! ソラ────」  雷斗がそう思って瞼を伏せる中、灰被の悲鳴が響く。僅かに残った視界の中で、サイトバラッドが力を振り絞り、立ち上がろうとする姿が目に入ったその時だった。  ドンッ、と。  人が倒れる音が、響き渡る。 「────!?」  その音が聞こえた瞬間、雷斗は驚いて目を見開く。血が噴き出す音が聞こえこそすれ、倒れる音が聞こえるとは思っていなかったからだ。  なぜか?  是堂雪做は横たわっていて、【倒れることはできないから】。 「っ……な……!?」  目の前で起きた光景に、雷斗は思わず声を漏らす。  倒れているのが。血を浴びたフィノ・アーカイバーだったからだ。 「……」  真っ新だったフィノの白い顔が、赤い血に濡れていく。大きく開かれたままのフィノの赤い瞳は、血を浴びてもなお、瞬きさえすることはなかった。ただ何かを一心にみつめているかのように……。
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