第二十九譚 私にとっての負け

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 彼が手にした黒い鞭。その鞭自体は他の堕天使達が持つ物と違いは無いようだったが、彼が鞭を持つと、まるで生きているように見える。  竜の骨のように猛々しいハンドル、緻密に編み込まれたキーパーは鱗のように繊細で、しかしその恐ろしさを助長させている。そんな恐ろしい鞭を、スフォリアが手の平に叩きつけた。 「なぜ痛いのか、か。」  バシッ、と響き渡る音。その音は激しい痛みを連想させる嫌な音だった。ニーナの右腕が痛みを思い出したように、再びビクッ、と跳ねた。 「なんてことはない。堕天使の使う鞭もまた、君たちグリムリーバーの【大鎌[death scythe]】と原理は似ているということだよ」 「……、?」  アンディー・パンディーと堕天使の鞭が同じ?  ニーナは今まで、堕天使の鞭は配給制だと聞いてきていた。精神の産物であるアンディー・パンディーと違い、元々物理的な物体であると。 「だが君が今疑問に思ったように、似ているというだけで同じものではない。この鞭自体は何の変哲もない。とはいえこれ本体だけでも自己回復能力を持っているから、他種が拾って使えば、それだけで脅威になるだろうが」  鞭を拾った────言い方は柔和だが、堕天使を殺し奪い取ったエリカのことを告げているはずだ。堕天使にとっては屈辱的だったのだろう、と頭の片隅で思いつつ、眉を顰める。 「その鞭が【物体】だというなら、一体どう似ているというの? 精神攻撃でもできるのかしら」 「半分正解だ。この鞭は精神にまで影響を与えることは可能だろう。だがそれは副次的な効果に過ぎない。私が行っているのは結果ではなく【過程】の話だ」  過程の話? それで痛みが影響しているって……。 「貴方の知る痛みが鞭に乗る……ってこと?」  ニーナの言葉に、スフォリアは静かに頷いた。  彼が……堕天使が【痛み】を知っているほど、鞭に乗る痛みは量を増していくということだ。つまりスフォリアはこれほどの痛みを知っている。  痛み。  その言葉で真っ先に思い浮かべたのが、被験体。彼らは尋常ではない痛みを味わい、そして味わわされ続けている。以前デラ・ブランカに与えられた痛みと遜色ない痛みだった。  まさかスフォリアも同じように痛みを味わって来たのか。ニーナがそう思ったその時。そんな思考など見抜いていたかのように、彼は口を開いた。 「【愚者は経験に学び、賢者は歴史から学ぶ】」
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