67人が本棚に入れています
本棚に追加
「っ……?」
スフォリアの言葉にニーナは一瞬理解が追い付かず、眉を顰める。だがその意味を悟った瞬間、ニーナの拳は強く握り絞められた。
「私自身が痛みを経験する必要などない。そのような役目は下の者が行えば良いだけのこと」
「────……」
ニーナは強く眉を寄せる。冷静かつ沈着に見えていたスフォリアの姿が、今は全く別のものに見える。
彼は知らないだけだ。痛みを負う辛さも。苦しむ辛さも。誰かを傷つける絶望も。
神に背いた者。彼らが持つ傲慢さと罪深さを、目の前に突き付けられた気分だった。
「……本物の痛みも知らない【お坊ちゃん】ってわけ」
冷静さは恐ろしい事態を想像さえ出来ていないから。沈着さは痛みに喘ぐ辛さを知らないから。
そしてそれはスフォリアだけではない。何も見ようとしないこの失楽園の闇が、全てを覆い隠してしまうこの闇が、全ての元凶。つまりスフォリアは……堕天使達は【失楽園】の【闇】そのものだ。
「痛みを負うものが、偉いか。では問おう。傷物になんの価値がある? 憎悪や絶望、そんな感情の乱れは一体何に結び付く?」
スフォリアは言いながら掌で鞭を滑らせていく。正義を現しているような緑色の瞳だが、ニーナが感じたのは安心でも信頼でもなく、疑念だった。血みどろになって白い外套を濡らす【処刑執行者】と違い、彼の正義は疑問を抱かせる。
「私怨はただの不都合しか生み出さない。痛みを味わって痛みを知る。そんな非合理的な方法を選ぶ価値はない」
スフォリアがそう言い切った直後。ひゅっ、と、ニーナの耳に風を切る音が響いた。ニーナの体が反射的に警戒した直後、その視界の端に黒い鞭が姿を現した。飛び退いて鞭を避けたその瞬間、眼前を鞭が通り抜けていく。
「く……!」
塔の壁にぶつかって進路を変えた鞭に瓦礫を掴んでぶつけると、ニーナは水晶の剣を創り直した。
先ほどの一撃を食らっていたことが逆に慢心を生まずに良かったのかもしれない。多少なら掠めても良いだろうと思っていれば、避け切れず痛みでのたうち回る羽目になっていたことだろう。
全身が震える。冷や汗が浮かぶ。ただ鞭で攻撃されるより、それこそナイフを向けられるよりもスフォリアの攻撃は恐ろしかった。打たれる痛みも切られる痛みも【想定】が付く。だが鞭が与えてくる【痛み】は? ……想像ができない。
「いやー、相変わらずえげつないさー」
最初のコメントを投稿しよう!