第二十九譚 私にとっての負け

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 喉が締め付けられ、声という声が出ない。鞭を引きはがそうと指先で掴むと、その指先に痛みが走った。鞭を切れるようナイフを手探りに探すが、焦りと痛みからニーナの指先がナイフの柄を掴むことはなかった。  立っている余力がなくなり、ニーナの足が床に叩きつけられる。膝に痛みが走っているはずだが、最早そんなものは気にもならなかった。ただ痛みで熱くなった体が、大理石の床に触れて冷たいと僅かに感じた程度。  数時間前。こんなに追い詰められている自分を、私は想像できていただろうか。……いや。正直なところ、全く、こんなことになるとは思ってもみなかった。  どこで間違ったのか。何を間違ったのか。……いや、そもそも間違ってすらいないのか。  すべては私の……力不足……。  膝をつくと地面が近くなり、瓦礫の粉塵が呼吸と共に入り込んでくる。襲い掛かってくるその砂は、惨めな気持ちをより、惨めに貶めた。 「どうした? もう降参?」  クククと上から響く嘲笑。ジップコードが笑っているのだ。その声を聞きながら、ニーナは拳を強く握りしめる。  今の自分を酷く嘲笑されているのがわかる。だが、どれほど惨めな状況を晒していると分かっていても、それを防ぐ手段がないのだ。謡う砂糖の不協和音がより一層ニーナを追い詰めた。鮮烈で鮮やかな絶望。褪せない痛みが、確かな歌声が鼓膜を揺らす。  彼らは……被験体たちはこんな苦しみを味わってきたのだろうか。ジップコードの笑い声がクリスティアドの声と重なっていく。その嘲笑が心を荒み、しかし抗えない絶望と恐怖の泥沼に飲み込まれていく。  立ち上がれ、な、い……。  地に伏せった両足。立ちたいが、体がもう、ついていかない。  太陽のない空。神に見捨てられた自分。  痛みで視界が歪み、景色が白くなっていく。  その遠くから見えた一つの人影。華奢で細い棒人間のような黒い影が、確かな足取りで歩み寄ってくる。 「……せん……じゅ?」  動けないニーナの前まで歩み寄ってきた人影。それがゆっくりとニーナの目の前まで近づいてきた。  よく知るシルエットの彼女は、どこかぼやけて見えた。影のように揺らめき、心もとなく、そして……悲しい。 「千寿……どうして……置いて行ったの……」  その姿を見て居ると、その姿を目に収めていると、なぜか途方もなく悲しい思いがこみ上げてくる。
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