第二十九譚 私にとっての負け

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 貴方の望む言葉をかける以外の選択肢は、持っていないの。 「もう……千寿ちゃんと話してたら私の方が元気貰っちゃった。また明後日私が担当するからね。楽しみにしてるよ」  そうだね。明日にでも死ぬかもしれないけど。 『どう思う? 魔女はきっと良心を失って幸せにはなってないと思うよ』  ばいばい、と手を振りながら千寿は言う。 『悪意を失った私は、こんなに生き苦しいもの』  白い部屋に落ちるもの。それは自分の影。裏と表は両立してこそ意味を持つ。両立していなければ、それは【真ではない】。 『……あぁ』  閉まる扉。浮かんだままの笑顔。  この顔を【見なくていい】ことだけが、救いかもしれない。 『見たいな。あの笑顔を』  苛烈で、鮮明で、艶やかで奪われない彼女は。 『早く蜜乃に会いたい……』  そもそも何も、持っていない。 「……」  吹き抜ける風。それは唯臣が微かにとらえた千寿の熱をすべて奪い去っていくように。得たその記憶は急速に唯臣の胸の中で冷えていく。  この世に残る千寿という痕跡を。この世の摂理が消そうとしているかの如く。 「千寿……ごめんな……何も気づいてやれなかった……話したいと思える兄に、なれなかった……」  悪魔の背中にしがみ付きながら、唯臣は呟く。その瞳が捕らえた先。そこにあるのは失楽園にあまりにも似つかない【塔】。  退廃した色合いの多い失楽園において、異質な白を持っている一本の塔。その白もまた、純白というには褪色していたが、この空間においておおよそ受け入れられていないことは想像に難くない。  その塔に群がる、無数の黒い羽を持つ人々の群れ。それは夜の木に留まるたくさんの烏のようだった。獲物を狙い、執念深く、そして穢すだけ穢し壊すだけ壊し、奪い去り荒らす黒い不吉のように。  その中に【白】は居た。  千寿が得ることができたはずの希望が。千寿が得なかった希望が。  妹は彼女になることを望まなかった。彼女が犠牲になれば、確かに妹は生き延びることができたのかもしれない。もがき苦しむ人生から、救い上げられることができたのかもしれない。  けれどそうしなかった。その理由を、唯臣は理解している。いや……自分自身が感じていた。 「やっぱり俺達……兄妹だな」
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