第二十九譚 私にとっての負け

51/67
前へ
/1802ページ
次へ
 彼女の笑顔を【見たい】。彼女に成り代わることでも、彼女を守ることでもない。  ただ俺達兄妹は。  彼女に────。 「行ってこい。小僧」 「連れて来てくれてありがとう、おっちゃん」  唯臣が悪魔から飛び降りる。誰がおっちゃんだ、と怒鳴る悪魔の声が聞こえる中、唯臣は耳にした。 「もう降参さー?」  蜜乃を嘲笑う声。響いてくる不快な不協和音。そして小さくつぶやかれた、蜜乃の声────。 「一人は……嫌だよ……」  あぁ。  俺も────嫌だ。  蜜乃の無防備な首に巻き付く鞭。それを、唯臣の爪が切り裂いた。  支えを失い、ぐら、と倒れ込む蜜乃。そんな彼女を唯臣は左腕で抱え、支えた。 「殺させない……」  唯臣の牙が鋭くなる。爪が硬化していく。その目が爛と輝き、声が掠れる。 「こいつは俺達の【希望】だ!」  唯臣の声が遠吠えのように響く。その言葉は唯臣自身には理解できたが、向かってくる敵たちが理解できたかどうかは分からない。だが、そんなことは関係ない。  俺ができること。それは今腕の中で真っ青になって気絶している彼女を救うこと。ただ、それだけだから。       ◆◆◆  ソロモン72柱の悪魔と思わしき獣に乗って現れたのは、小柄な少年だった。スフォリアの鞭を一瞬で切り裂き、痛みのあまり意識を失ったのであろうニーナ・グレーテルを支えた彼は、人ならぬ咆哮を上げた。 「────」  自身の鞭を意図もあっさり断ち切られたことに、スフォリアが大きく目を見開く。だがその横でジップコードは一人、頬から冷や汗を流していた。 「対抗馬をよこすとは聞いてたけど……あんたはやっぱり酷な人選をしよるさー、魔女」  はぁ、と大きい溜息を吐きながらジップコードは呟く。 「まさか、亞空とはねぇ……。あの狼……どこまで正気を保ってられるのかなぁ?」  歯を剥き、牙を剥き、人ならざらぬ獰猛さを見せる瞳で辺りを睨みつける亞空唯臣。  ジップコードはこの戦いにおいて、魔女からニーナ・グレーテル側に味方が来ることは聞かされていた。だが、その結末は聞かされていない。敗者も、死者も。 「まぁ……見物さー」  想像よりも冷たい声で、ジップコードはそう呟いていた。自分自身の発した言葉の低さに思わず笑ってしまいながら、ジップコードは見る。  【最早人語を話していない】唯臣を。
/1802ページ

最初のコメントを投稿しよう!

67人が本棚に入れています
本棚に追加