第二十九譚 私にとっての負け

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 【悪】になるかならないかは、結局。  ニーナ自身に委ねられている。 「悲しい? 私が死んで」  涙を拭うニーナに聞こえてきた千寿の言葉。ニーナが頷くと、ぴしゃ、と頬に水がかかった。  それが自分自身の涙だったのか、それとも水だったのかは分からない。だが、その言葉は確かに聞こえてきた。 「見て、蜜乃」 「……?」  水に手を触れながら、ニーナは瞼を開く。ニーナの瞳が捕らえたのは。  まるで太陽の光が降り注いでいるように聳える、一本の光柱。まるで天国へと繋がっていそうなその柱は、水でできていた。中で煌めいているのは……あの星屑のような、感情たち。 「…………千寿……?」  光に千寿の姿はない。目の前にあるのは、どこまでいっても光の柱でしかない。だが、確かに伝わってくる。彼女はそこにいると。 「ふふ。ようやく見せてくれたね。蜜乃の感情」  ふわ、と、温かい空気がニーナを包んだ。ぽろりと勝手に零れ落ちた涙。だが、先ほど流した悲しい涙とは違う。心の奥底から沸き上がってくる何か熱く切なく、けれど優しい思い。 「お兄ちゃんが悲しんでいたから、戦わなくちゃいけなかったから。ニーナは悲しいと言えなかったんでしょう? 分かるよ。私もそうだった。私は誰かを悲しませちゃいけなかったから。そんな言葉を私は与えられていなかったから」  誰よりも私から遠いと思っていた少女は。私と同じ辛さを抱えて、同じ痛みを味わっていた。誰からも愛されているはずの少女は、愛すことの、愛されることの苦しみに溺れていた。 「感情を誰かに伝えることって、簡単なことじゃないよね。拒絶される怖さも、恥ずかしさも、恐れもある。そしてそれは永久に消えないと思う」 「……そうだね」  誰かに知られてはいけないから。いつの間にか私にとっての負けは、【私を知られること】そのものになっていた。 「けど大丈夫だよ。蜜乃は少し、怖がりになっていただけ。ちゃんと本当の感情を持っている。感情の出し方だって知ってる。あとちょっと必要なのは、少しの勇気だけ」  頭を撫でられた気がした。抱きしめられた気がした。優しい言葉を────かけられた。 「たとえ誰が負けだと言おうと。【負けは自分で決められる】。蜜乃が負けたと思わなければ、それは負けじゃない」  とん、と、胸元に熱が走った。まるで拳をぶつけられたように。心臓が動き出したように。
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