第二十九譚 私にとっての負け

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 そう言ったニーナの顔は。  笑っていた。       ◆◆◆ 「ッヴ……ヴヴッ、ヴヴヴヴ……ッ」  ケルビムの歯車に乗りながら、荒い息を漏らす狼。十五家の当主が一人、亞空唯臣。スフォリア相手に善戦を見せるという異様な姿を見せた唯臣だったが、やはりというべきか徐々に疲労が満ちているようだった。  人間どころか堕天使ですら目で追うことが精いっぱいな狼の動きだが、スフォリア達を完全に追い詰めるにはやはり役不足といったところだろう。唯臣が上げたその声は、攻め切れない苦悶が滲んでいた。 「あーぁ。やっぱりこうなるさー」  意識を失ったままのニーナを抱えたまま、ジップコードは呟いた。その狼ならではの驚異的な身体能力のお陰で息が上がっているわけではないが、堕天使達を追い詰め切れてはいない。 「このまま終わるんさ? それはつまらないなー?」  唯臣を見下ろしながら、ジップコードは呟く。僅かにだけ見えた、魔女への牙。だがそれはやはり幻でしかないのか。ほんの少しだけ熱を抱きかけたジップコードの瞳が冷えそうになった、その時。 「ヴ……ヴヴ、ヴヴウヴウヴウウウウウァアアアッ!」 「っ!?」  突然大きな唸り声を上げた唯臣に、ジップコードが目を見開く。彼の本質を知らないスフォリア達が警戒を見せる中、ジップコードは慌てて更にその場を離れる。  それはジップコードが、唯臣のしようとしている【あること】に気付いたからだった。 「っ!? な────【狼化】を早めるつもりなんさ……!?」  【狼化】。狼人間という化け物を孕む唯臣だからこそできる変貌。そしてそれは、帰り道のない片道切符。  大地を、空間を大きく振動させる唯臣の咆哮。だがそれは、悲鳴のようにさえ聞こえる。  ケルビムの歯車を掴む唯臣の指先が、四肢が酷く骨ばっていく。それは最早人間としての骨格を忘れ、狼の肉体へと変貌しているように。変わっていく細胞の変化に、唯臣自身が苛まれているように。 「ま……まじかー……? だけどいくら本人がその気でも……【狼化】を早めるなんて、できるものなんさ……?」  ジップコードが動揺しながら唯臣を見回す。そして気づいた。唯臣が咆哮を上げるため大きく息を吸い込むたびに、彼の毒が増していることを。  ────こいつ。失楽園の毒を【取り込んでいる】……!?
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