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レンズの付いたインターホンを押すと、濃いグレーの扉の向こうから、ぱたぱたとスリッパの叩く音が聴こえる。
かしゃん、とロックの外れる音に続いて、扉がこちら側にゆっくりと押し開かれた。
「ただいま」
「……お、おかえり、なさい」
半開きの扉の中から、上目遣いに覗いてくる大きな瞳。
返事が少しだけ躊躇ったように返ってきたのは、言い慣れない言葉に照れているからだろう。
「家寄ってきたら遅くなっちゃった」
「……ううん、大丈夫。ご飯、今出来たとこだから」
紫色に染まる外界に溶けきらない外灯が点々と灯るマンションの侘しい廊下の一角で、昼間とは様変わりした涼しげな風が、す、と頬を撫でいった。
涼しい風と相対する温かみのある部屋の明かりが、自分を迎え入れてくれることに、ほ、と安心感を抱く。
明かりの灯らない無意味に広い自宅に、辿り着いたときのあの暗さには慣れていたと思っていたのに、
……一度、こんな家の明かりの温かみを知ると、ひと気のない暗いあの家が、どれだけ淋しいものなのかに気付かされる。
一時期、今と同じこの温かな明かりがあの家にも灯っていたあの頃。
家の明かりがこんなにも心地の好いものだということを改めて思い知らされたのは、この人に出逢ってからだ。
恐らくそれは、親父も同じだったと思う。
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