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そのねっとりとした声が、ハイエナの如く鬱陶しい眼が、男と言う生き物が、こころにとっては不快でならなかった。
だがしかしそれをおくびにも表に出さずして、わざとらしく、小首を傾げる。
「ふふ、どんな遊びかしら」
そうして誰もが見惚れる頬笑みを彼等に送り、まるでその音色は甘い蜜。それに集るのは、蜂だけではない。薄汚い小蝿とて、ソレには弱いはず。まるで誘惑されているような気にさえなってくる。
この声が彼等の耳の奥にまで浸透し、通り過ぎてはくれない。その笑みは目に焼きつき、消えてなくならない残像。
ああ、到底手に入りそうにない雲の上の存在。だが今はこんなに近くにキミがいる。捕まえられる距離にいる。例え意図も簡単に手の中から抜け落ちても構わない。一時の至福を味わえると言うのなら――
ゴクリと誰からともなく喉を鳴らす音に、こころはより一層笑みを深めた。
梨磨はそんな彼女と男達を交互に見ては眉間に皺を寄せる。
この空気に耐え切れずして、梨磨が前に出て何らかの怒号を浴びせよう、それでも退かぬならこの拳を躊躇うことなく奮おう、そう意を決したその時。こころがそれより早く足を進めて。
「でも、今日はこれで勘弁してね」
そう言って、軽いリップ音を立て、一人の男の唇に触れた。
その的となった男は唖然と口を半開きにし、周りの取り巻きらしい輩も一切口を出すことなくジッと少女の言動に魅せられていた。
この男にとってキスはたいして特別なものではない。勿論、初めてでもない。恥じる程の純粋な心も持ち合わせてなぞいない。
それなのに、忘れられない。たった一瞬だった。触れるだけ。
それでも――
「梨磨、行こっか」
「あっちょっとこころってば!」
放心状態の彼等を置いて、こころは親友の手を引き無情にもさっさとこの場を立ち去った。
あの現場にいた何人かが、さっきの光景を大いに広めてくれるだろう。
そのことが、どうしようもなく滑稽だとこころは思った。
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