切捨御免

5/10
前へ
/37ページ
次へ
「斬れなかった」 屈辱感が男の心を締め付けた。 いつの間にか強さを増した雨が、それを一層駆り立てた。 これまで幾人もの強者と相対してきたこの男が、あろうことかたった一人の老父の前に屈したのだ。 丸腰の老父に。 「止めを刺すのだ」 男は直感的にそう感じた。 恐ろしい直感である。 元来、そのようなことは武士としては大いに恥ずべき行為であるのだが、今や平静を失った男には関係のないことであった。 脇差を抜くと、驚くほどの力で老父の心臓を一突きした。 断末魔のうめき声とともに、老父はついにこと切れた。 男から奪った武士の一分と共に、老父は逝った。 男は目撃者のいない状況に少なからずの安堵を覚え、再び帰路に付いた。 雨の強い夜のことであった。
/37ページ

最初のコメントを投稿しよう!

83人が本棚に入れています
本棚に追加