83人が本棚に入れています
本棚に追加
「斬れなかった」
屈辱感が男の心を締め付けた。
いつの間にか強さを増した雨が、それを一層駆り立てた。
これまで幾人もの強者と相対してきたこの男が、あろうことかたった一人の老父の前に屈したのだ。
丸腰の老父に。
「止めを刺すのだ」
男は直感的にそう感じた。
恐ろしい直感である。
元来、そのようなことは武士としては大いに恥ずべき行為であるのだが、今や平静を失った男には関係のないことであった。
脇差を抜くと、驚くほどの力で老父の心臓を一突きした。
断末魔のうめき声とともに、老父はついにこと切れた。
男から奪った武士の一分と共に、老父は逝った。
男は目撃者のいない状況に少なからずの安堵を覚え、再び帰路に付いた。
雨の強い夜のことであった。
最初のコメントを投稿しよう!