紙魚は泳げない

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 いつの間にかすっかり高い場所まで来てしまっていて、視界は随分と開けていた。    展望を遮るマンションもなく。ところどころにある黒い染みを持つこの街を見つめる。染みはきっと木々の固まりか竹林であろう。風に葉っぱが揺れても、染みはそこに佇む。空気を思いっきり肺の奥深くまで吸い込む。  この街は私だけの街であるかのようだ。何もかもが良く見え、良く分かる。このまま誰も目覚めずに、永遠に夜が続けばいいのに。  後ろを振り返ると、公園が目に入った。何本もの大木に守られるようにして存在する、寂れた公園。街灯がただ一本だけ立っている。急にブランコに乗りたくなった。誰もいない夜だから出来ること。大人だってブランコに乗って空しか見えない世界を味わいたいはずなのに、乗るなというのが暗黙のルールだ。  公園の中に入る。裸足の裏に砂利が刺さった。しかし、痛いことよりも私は別のことに気を囚われていた。いつの間にか、先客が出現していたのだ。それも、二つあるブランコの内の片方に。  黒い塊のそれが動く。私の気配に気づいたようだ。私は小さいそれに近づくに連れて、妙なことに気がついた。中学生ぐらいの精悍な顔つきをした男の子は、やたら時代がかった衣装を着ている。黒の長い何かが付いた帽子。そして、全身オレンジのようでいて、微妙に違うようなくすんだ色。直衣(のうし)というのではなかっただろうか。高校の時に、便覧で見た平安貴族のような格好で、戸惑う様子もなく、自然にブランコを揺らしていた。 「どうしたのだ。座れば良い」  声変わり前の良く通る声だ。私はこの子の名前を知らない。でも、知る必要もない。  ブランコに座ると軋む音がした。長年使われていないのだろう。 「どうして、こんなところに」  ゆっくりと揺らしていく。世界が揺れる。私が揺れる。壁に佇む染み程にも私は安定していない。曖昧なまま。
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