桐谷塾開校

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「よし!みんな書けたかぁ?」 「「は~い!」」 健志の呼び掛けに明るく答える子供達である。 咲と春の手伝いもあり無事に桐谷塾を開校出来た健志は、入校してくれた子供達と文字書きを教えていた。 何故健志が文字書きを教えているかと言うと、今はお昼前であり咲と春が子供達の為に昼食を作っているからだ。 桐谷塾では入校してくれた子供達には、無料で昼食を配給する事にしていた。現世での給食である。現世では、給食代を取っているが、子供の教育に力を入れる桐谷家では昼食を支給する方針にしている。 この行いにより、最初20人弱で始まった桐谷塾は、主に百姓の子供達が集まり、今や100人を超える入校希望者が殺到していた。 この行いに近隣の寺や神社や道場などの人々は、感銘を受けたらしく寺の施設を使って欲しいなど、教師に立候補してくれる僧や武士などが殺到していった。 どの時代も、大人達は子供の成長を大切に思うものである。 健は、桐谷塾を本校として2つの寺に50人ずつ、計150人の子供達を大体の年齢別に分けて入校させる事にした。 子供の人数がこれからも増えるにあたって、昼食を毎回150人分用意するには、桐谷家の台所事情が火を吹きそうになっていた。 そんな桐谷家の台所事情を知ったのか、幸運な事に桐谷家が南蛮鎧を注文している尾張の豪商が子供達の為にと毎月米を寄付してくれる事になった。 その代わり、桐谷家の鎧はその店から全て注文すると言う約定の上でだが…商人も桐谷家に期待しているのだ。
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