四月二十九日金曜日(昭和の日)

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 鏡で自分の顔を見ると、なるほど『総統』と呼ばれるに相応しい顔色をしていた。  気持ち悪さの残る口をしっかりとゆすいで、ひりつく喉もうがいですっきりさせる。  ついでに顔も洗うと、調子は戻らないが気分転換にはなった。  いつの間にか揺れがましになっている。  ハンカチを探してポケットをまさぐっていると、そんなことに気付いた。  波が収まって僕が慣れたのか、はたまた気のせいか。  船に乗っている限り船酔いは治らない、と聞いたことがある。  吐くもの吐いてすっきりしたし、多分後者が理由だろう。  それにしても、ハンカチはどこだ。  部屋に忘れたのか? 「ほら、使えよ」  見兼ねた男が後ろからハンカチを差し出してくれた。 「ありがとうございます」と受け取って、それが異様な高級感を放っていることに気付く。 「あの、これ」 「あ? 別にいいよ、好きに使えば。貰い物だし、そのブランドあんまり好きじゃねえんだわ」  いや、でも……このロゴ。高級品に縁がない僕でも知っているレベルだぞ。  さすがにこんなもので僕なんかの顔を拭くのは気が咎める。  びしょびしょの顔でどうしたものかと迷う僕に、男が「顔も拭けないのか? 俺が拭いてやろうか」とからかうように言ってきた。 「じゃあ……失礼して」  気兼ねせずごしごし、とはいかないが、ありがたく使わせていただく。  拭き終わって顔を上げると、男は楽しそうに笑っていた。
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