観念と具象と変化

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物事と問題は連鎖するものと言っても誤りはないだろう。 そもそも、物事を具象と考えるのなら問題は具象と観念の併用と言えるだろう。 物事の停滞は隷属的連鎖を生み出す。 しかし、観念は創造性から革新を生み出す。 ここで提議したいのは具象と観念であり、その併用と乖離である。 併用する場合は問題が弊害化することなく自然な姿勢を保つだろう。 しかし、乖離する場合は問題が弊害化すると考えていいと言えるだろう。 観念と具象がその進捗について弊害を起因とする要因に至る時、多々ある価値観の中で非常に効率的な場合と非効率的であるが既存の倫理に則した結果を招く事になるだろう。 従来は具象化されたものが客観的であり観念は主観的であると解釈されたが為に乖離されているのが常であった。 しかし、乖離の対象である観念が革新的結果を生み出した時、観念は具象化の起因となる事を知る結果となった。 それは、革新的であるには乖離ではなく併用するのが革新に繋がると考える事が出来る証ではないかと考える事が出来る。 問題の弊害にはそれ自体ではなくその過程の先にあると仮定出来る。 過程の行き着く先は結果であるがその結果が革新を弊害するものであれば変容は起こりえない。 すなわち、不変であるのだ。 不変的事象は対立関係を生み出す基である。 その基は変化をもたらさない。 故に変化に対する弊害を生み出すのだ。 循環は時に既知と未知の葛藤も生み出す。 循環することは体制の固定化となるがその循環に価値を付け足すと既存から未開のものに可能性を見出したりする。 可能性は循環の崩壊であり、また創造である。 起因と結果と過程には歓待と排他的要素もある事を忘れてはならない。
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