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中日ドラゴンズの職人と言えば、忘れちゃならない人がもう一人〓
昔から地味な選手が多く、地元以外ではたいして人気球団ではなかったドラゴンズ(^。^;)
そんな球団の歴史の中で最も全国的に名の知れた選手と言えば…?
そう、燃える男〓星野仙一投手でしょう。
ただ、彼がなぜ燃える男と呼ばれるようになったかは、ドラゴンズファン以外の方には余り知られて無いかも知れません。
まずはそのエピソードから(^o^)/
時は昭和43年。それは星野仙一さんが当時まだ、明治大学野球部の投手だった頃の話。
その年のドラフト会議はまれにみる豊作年で、当時の東京6大学のスター達が沢山、指名候補に挙がっていました⚾
特に法政大学には当時、法政3羽ガラスと言われた(田淵幸一さん、山本浩二さん、富田勝さん)が有名〓
そんなスター達と死闘を繰り広げていたのが、明治大学のエースだった星野さん😃
彼のもとにも、複数の球団からオファーは届いていたらしいのですが😉
そんな中でも一番熱心に勧誘していた球団はなんと、後々彼の宿敵となる読売巨人軍だったようです👀💦
とは言っても、岡山生まれの星野さんは子供の頃から大の阪神タイガースファン〓当然プロでやるなら阪神タイガースで、なんて気持ちも強かったはず…
だけどそんな星野さんの気持ちも、巨人軍スカウトの情熱的な言葉と、積極的なアプローチに揺らぎ始め、遂には自らの意思で巨人軍入団へと固まっていた…
それなのに💧
嗚呼…それなのに💧
それなのに💦
星野さんにとって運命のドラフト会議は、以外な展開になってしまうのでした😓
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