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では、昭和43年のドラフト会議がどんなものだったかと言いますと…
前のページで記したように、この年のドラフトの話題は東京6大学の中でも法政3羽ガラスの去就が注目の的👀〓
特に強打の捕手だった田淵幸一さんはドラフトの目玉😁
しかし彼は、ドラフト前から巨人以外は拒否の姿勢を見せていて、他球団が強行指名するかどうかも注目されていました。(^。^;)
(全く…この頃から読売は出来レースを画策していたんだね💦)
勿論、読売巨人も田淵さん1位指名で決まっていました(どうやら星野さんにはハズレ1位を約束していたようです)😆
で…😁結局どうなったかと申しますと👀
田淵さん単独1位指名を目論んだ読売巨人は、ドラフトの指名順位が8番目だった為、先に指名を向かえた阪神に、田淵さんを強行指名されちゃったんですっ(^o^)/
さて、一方の星野さん。〓
その瞬間をテレビで見ていたかどうかは定かでは有りませんが、これで自分は間違い無く読売巨人に指名されると思ったに違い有りません😉
しかし…その期待は見事に裏切られるのです😓
なんと、読売巨人のハズレ1位指名は星野仙一ではなく、高校生投手👀💦
島野 修だったのです😱
ハズレ1位は自分ではなく、寄りによって高校生💦
そのショックたるや、相当なものだったのでしょう。
それは当時の星野さんのコメントにも如実に表れています😉
【えっ…!?島野?星と島を間違えてるんじゃないか…?】
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