ある女侯爵の追想

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「お母さん」  声をかけても返事など期待していない。それでも声をかけてしまう。子ども心に、いつか母は抱きしめてくれる。そう信じていた。  ある日母は侍女頭に言って出かける支度を始めた。 「ジョージアナ様もお支度を」  この屋敷で笑いかけてくれるのはこの侍女頭と執事くらいだ。母はこちらを見ることもなく部屋を出ていく。 「お母さんはどこに行くって言ってたの?」 「教会ですよ」 「朝も行ったのに、どうしたんだろう?」  ふつうの礼拝は朝も行われているが、この国では夜も行うのだ。  朝の礼拝は日の下を堂々と歩ける者が多く、夜の礼拝は裏社会の人間が出入りすることが多い。裏社会の人間が礼拝だなんて、意外も意外だが、心の平穏を望む者は多い。  バックランド侯爵は裏社会に属している方だが、公的な身分もあるため、どちらに行くかを決めるのは、その日の当主の気分だ。  赤いドレスに着替えて外にでると母はすでに乗り込んでいた。
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