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新潟にはいい思い出がない。
思い出すのは、ただ耐え忍ぶ記憶。
冬になれば雪が降り積もり、誰もが口数少なく雪を掻く。
薄めた墨汁を半紙に滲ませたような空の、灰色の世界。
日本海側の雪は重い。
北海道の雪はサラサラで軽いのだと、眞柴から聞いた。
眞柴は東都防衛学院に入って出来た俺の親友だ。
立ち居振舞いが垢抜けていてカッコ良い。眞柴がよく使う言葉で言うなら「スタイリッシュ」。
スノーパウダーみたいな奴だ。
とにかく、新潟の雪は重かった。
家が潰れないよう、屋根の雪下ろしをする必要がある。
雪のせいで狭い道路がますます狭くなって、スリップした車がよく立ち往生していた。
自転車に乗れなくて、自分で行ける場所も制限される。
ミニスキーやソリや雪合戦も雪だるまも、一人じゃ面白くない。
「俺たちを苦しめる雪なんか、なくなってしまえばいいのに」
と、昔、言ったことがある。
そしたらじいちゃんに言われた。
「雪が降るから、春には雪解け水が流れる。雪解け水は飲み水やコメを作るために必要だ。いらんもんなんぞ、この世には存在せん」
俺は納得出来なかった。
いらんもんがないなら、いじめや戦争だって必要だってことだ。
じゃあ、なんで「いじめをなくそう」「戦争をなくそう」ってやってるんだ?
「なくそう」ってことは、要らないってことだ。
いじめも戦争も、何故要らないかというと、悪いことだからだ。
悪はなくなるべきだと、俺は思っていた。
じいちゃんの言うことだと、悪も必要ということになる。それじゃ、いじめも戦争もなくならない。
そんなの、どう考えたっておかしい。
間違っているのは、じいちゃんだ。
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