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家にも学校にも居場所が無い僕は、夕方になるとよく家の近くを徘徊する。
暖色の灯った一戸建ての窓を羨んだり、風にそよぐ稲葉なんかを愛おしく思ったり。右足でアスファルトを叩いては左足を畦道に沈める。
六月の初旬、雨上がりの空気は磨き抜かれた窓硝子のように冷たかった。真横から差し込むオレンジ色の光は、田んぼの真ん中にポツンと建設された大きな精神病院の陰を鮮明に投射してる。
あの陰は、境界線だ。そこへ足を踏み入れると、逆光に薄まっていた遠くの家々がくっきりと世界から切り取られて、キラキラと輝いて見える。でも、目が慣れて来るとすぐに分かる。世界から切り取られているのは、いつだって僕の方だった。
真っ黒だった病棟が徐々に色合いを滲ませて、嘔吐したキャベツみたいなぐずぐずの緑色に変わる。それを認知するたび、境界線を越えたことを後悔する。金網で区切られた向こうの敷地からは希に、人のものか疑わしい奇声が手をのばして来る。それを掴んでしまったら、僕も向こう側へ行かなきゃならない。ここにはもうひとつ、ここからしか見えない境界線があるんだ。
こっちの境界線は容易に越える事はできないし、越えてはいけない。越えてしまった人間がどうなるのか、僕は誰よりも知ってる。
大嫌いなお父さんが、この病院の患者だから。
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