飛べないから火にも入れない夏の虫

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  漕ぐ、漕ぐ、漕ぐ。バイト先のコンビニの手前にある急カーブで、遠心力と静止摩擦係数が火花を散らす。後ろから雑な運転の乗用車がハンドルを掠める。側面から膨れ上がる圧迫感に脊髄の神経が擦れ合う。追い抜いて行くナンバープレートに叫ぶ。危ねぇだろ、気を付けろ。でも運動不足の不健康な呼吸器官では歪んだ悲鳴をあげるだけで精一杯だった。あっという間に周囲の景色が田圃になる。自宅へ続くT地路なんてとうに意識から弾き飛ばされていて、何処だったかわからないし、知ったこっちゃない。夏服のワイシャツが汗で背中にへばりつくのもそのままに、ひたすら漕ぐ、漕ぐ。 日に焼け色褪せ尽くした赤い自動販売機が目に留まって、ブレーキレバーを思いきり握った。後輪がスリップして、腸が捻れるような不協和音が蒸した大気を螺旋状に薙いだ。 熱で頭が真っ白になっていた。呼吸をするたび横隔膜へ鈍痛が走る。思わず財布を取り出して、小銭を探すもほとんど残っていない。仕方なく取り出した千円札を、覚束無い手つきで吸い込ませる。ウィーン、ガコンとペットボトルが吐き出されるまではすぐだったのに、取り出すのさえ億劫で、しばし切り刻まれた呼吸に悪戦苦闘しながら自転車のハンドルへもたれ掛かる。  
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